原点はここに
2010年 11月 25日
ちょっとした旅から帰り、広島駅で無性に駅のうどんが食べたくなった。
湯でおいたやわらかい麺と澄んだ汁「天ぷらうどん」を食べながら、思い出し、
気付いた事はこの「駅のうどん」がわだち草の原点だと言う事。
子供の頃、そうだなぁ幼稚園か小学生低学年くらいか、、、
滅多に旅行や外食をしない我が家が、旅行に行くと必ず広島駅でうどんを食べていた。
余談だけど、国鉄の職員だった父は駅ではとても堂々としていて、
駅員、車掌などと挨拶をしたりしている姿を誇らしく思った事を思い出す。
幼い自分たちでは立ち食いのカウンターには届かないので、ホームのベンチに持って行き、
両親と4人の兄弟で食べていたこのうどんが、美味しくて美味しくて。
親父の「うどん食べるか?」の問いに胸躍らせていた事、
ベンチに座って眺めると、次々と移動するいろいろな大人達が珍しくて、
どきどきそわそわしながらじーっと眺めていた事。
広島駅だけではなかった。その昔は三次駅にも立ち食いうどんがあった。
その頃は汽車への持ち込みも出来て、プラスチックの器に入れてもらったうどんを持って、
汁がこぼれないようにそっと駅員さんに切符を切ってもらって乗り込んでいた。
汽車の中で食べる熱々のうどんなんて、子供にとってもうこんなに美味しいものは
他にないような気がする。
こんな思い出がうどんの味と合わせて、自分に大きく刻まれている事に改めて気がついた。
「駅のうどん」がなかったら、自分はうどん屋になっていなかったんじゃないだろうか。
その後の自分の色々な経験や思いが今の「地粉うどん」として表現されている訳だけれども、
一番中心に有る物はこの「駅のうどん」の味なんだなぁと改めて気がついたのです。。
湯でおいたやわらかい麺と澄んだ汁「天ぷらうどん」を食べながら、思い出し、
気付いた事はこの「駅のうどん」がわだち草の原点だと言う事。
子供の頃、そうだなぁ幼稚園か小学生低学年くらいか、、、
滅多に旅行や外食をしない我が家が、旅行に行くと必ず広島駅でうどんを食べていた。
余談だけど、国鉄の職員だった父は駅ではとても堂々としていて、
駅員、車掌などと挨拶をしたりしている姿を誇らしく思った事を思い出す。
幼い自分たちでは立ち食いのカウンターには届かないので、ホームのベンチに持って行き、
両親と4人の兄弟で食べていたこのうどんが、美味しくて美味しくて。
親父の「うどん食べるか?」の問いに胸躍らせていた事、
ベンチに座って眺めると、次々と移動するいろいろな大人達が珍しくて、
どきどきそわそわしながらじーっと眺めていた事。
広島駅だけではなかった。その昔は三次駅にも立ち食いうどんがあった。
その頃は汽車への持ち込みも出来て、プラスチックの器に入れてもらったうどんを持って、
汁がこぼれないようにそっと駅員さんに切符を切ってもらって乗り込んでいた。
汽車の中で食べる熱々のうどんなんて、子供にとってもうこんなに美味しいものは
他にないような気がする。
こんな思い出がうどんの味と合わせて、自分に大きく刻まれている事に改めて気がついた。
「駅のうどん」がなかったら、自分はうどん屋になっていなかったんじゃないだろうか。
その後の自分の色々な経験や思いが今の「地粉うどん」として表現されている訳だけれども、
一番中心に有る物はこの「駅のうどん」の味なんだなぁと改めて気がついたのです。。
by wadachisou
| 2010-11-25 23:20
| 日々の事